勉強・読書メモ

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今月読んだ本(2022年2月)

 

メモ

 今月は先月ほど読むことができなかった。

 とはいえ、セネカも「多数の著作家のあいだを当てもなく渡り歩くよりは、少数の著作家に身を委ねるほうがはるかにましなのである」(「心の平静について」第九章)と言っているのだから、数を気にするよりかは読んだ本がきっちり自身の力になっているかを考えた方が良い。

 以上言い訳。

 

伊藤貞夫『古代ギリシアの歴史』講談社学術文庫

 先史時代のギリシアからマケドニアによるギリシア支配までを扱った一冊。全部で四章構成で、第一章では線文字Bの解読による研究の進展に関連した話が、第二章ではポリス誕生が扱われ、第三章では民主制の展開が、第四章ではポリスの絶頂期から凋落への流れが述べられている。

 プラトンアリストテレスを通じて、何となく把握していたギリシアに関する知識をより深めるのに役立った。個人的に面白かったのは、ポリス成立以後のアテネとスパルタの社会の共通点や相違点である。この時代のギリシア社会においては、疑わしき者は罰せよの風潮が非常に強いと感じた。スパルタにおいては反逆への不安のためか能力のあるヘロットを殺害する慣わしがあり、アテネにおいてはオストラキスモスによって投票によって選ばれた者の国外追放などがある。非常に表層的かもしれないが、この共通点は面白いなと感じた。

 上記以外であれば、ペイシストラトスのようなクーデターによって僭主政権を成立させながら、国内の整備をキチンとするというのも以外であった。独裁的性格を有した政治ではあったらしいが、後世の評判が存外よいというのが個人的に面白い。中国の古代史を見ていたりすると、どうしてもクーデターのような方法で国家を乗っ取ると、大抵ろくなことをしていないように見えるためそう感じた(最近、司馬の項羽と劉邦をペラペラ捲っていたからそう感じるだけかもしれない)。

 また読み直したいと思いつつ、1976年に書かれたものがベースになっているようなので、最新像も気になるところ。

 

佐々木毅『よみがえる古代思想 「哲学と政治」講義Ⅰ』講談社学術文庫

 先に見た本に続いて読んだもの。古代ギリシア・ローマ世界を中心として政治を扱っている。全五章構成。第一章では、ソクラテス以前からソクラテスにかけて、ギリシアの政治が論じられる。この時代におけるギリシアに特徴的なのは、ヒュブリスという悪徳に対する厳しい姿勢と、ノモスの遵守という考えである。また、基本的にギリシア世界における名声は、政治と結びついており、自由人である条件はまさに政治を行うということによるのである。しかし、ソクラテスはこうした価値観を「魂への配慮」という形で内面へと向けさせる。それは、政治世界において名誉や栄誉などへの執着ではなく、己自身の善き生に気を配れという形へとなる。第二章では、こうした師匠のソクラテスを踏襲しつつ、独自の政治観を提示したプラトンについて語られる。プラトンの政治論の特徴は、国家を三つの部分に分けて考えた点と哲人王による国の統治という考えであるように思われる。第三章では、プラトンの弟子のアリストテレスが扱われる。アリストテレスプラトンとは異なり、ポリスとは距離を取った視点から考察を行っているという点が指摘される。第四章では、ヘレニズム時代における諸派が扱われ、第五章ではローマが扱われる。

 大きな流れとしては、政治との結びついていた時期から、段々と政治に対して距離を取る過程が描かれることとなる。ちなみに本書の続編では、今度は距離を置いていた哲学と政治が再び結びつくという方向過程で述べられている。

 古代における政治思想を見るのに、読みやすく大変便利だと感じた。

 

フレーゲ(藤村龍雄訳)『概念記法』(『フレーゲ著作集1』所収)勁草書房

 述語論理が初めて提示された本。フレーゲの金字塔その1。現在の論理学の教科書からすると、えらい複雑な記号法が採用されている。色々と面白いところがある一冊。まず初めに本書の動機が語られ、次に記号法の提示。そして公理の提示を行い、いくつかの導出を見た後、遺伝に関連して記号法が拡張されてさらに定理が証明されるという構成である(と思われる)。

 現在標準的である古典論理の体系との分かりやすい相違点は二つあるように思う。第一に、命題とそれに対する判断が記号法において採用されていること。つまり、真偽を問う段になると判断線(「|—A」の左の縦線。水平線は内容線と呼ぶらしい)が必要となる。こうした判断という何事かを表すものを、教科書的な古典論理は採用していない(ラッセルは信念の対象となっている命題についてのみ真偽が問題になるというような立場を1912年頃とっていたような気がするが、これはフレーゲの影響だったのかもしれない?)。第二に、存在量化を用いないということ。もちろん、全称量化と存在量化の関係を考えれば、別に一方だけで足りるわけだが、個人的には存在量化も一緒に導入されていると思っていたため意外だった。見落としている可能性は否めない。

 そのほかに重要であるのは、命題の分析を主語述語という図式から、項と関数へと移し替えた点などがある。

 読み直す際に忘れてそうなこと。記号法を日常言語で表現する時、フレーゲは命題を否定的に表現している。例えば、フレーゲはB→Aという条件文を表すとき、「Bが真となり、Aが偽となるということはない」と表現する(したはず)。言葉を節約できる表現なのだろうと思う。自分がよく見るのは「Bが偽か、Aが真である」というパラフレーズ

 面白いわりに短い一冊であった。まだまだ理解し尽くせない箇所が多々あるため、再読する予定。とりあえず、かなり端折って読んだ遺伝の箇所は精読が必須。

 

M.ハイデッガー、E.フッサール、M.ホルクハイマー(清水多吉・手川誠士郎編訳)『30年代の危機と哲学』平凡社

 ハイデガーフッサール、ホルクハイマーの論文(講演?)が収録されたもの。なぜかM.ハイデッガーほかと表紙には載っているが、一番ページ数が長いのはフッサールである。

 収録されているのは以下の四本(タイトル末の括弧は発表された年)。

 

 ①フッサール「ヨーロッパ的人間性の危機と哲学」(1935)

 ②ハイデガー「ドイツ的大学の自己主張」(1933)

       「なぜわれらは田舎に留まるか?」(1934)

 ③ホルクハイマー「社会の危機と科学の危機」(1932)

 

 いずれもドイツの人である。これらの発表された年代からも分かる通り、30年代というのは1930年代のことを指す。

 ①の論文は、合理主義の直面している挫折について解決を探るものである。②は、ハイデガーが大学総長についた際の講演と、一年後退任した際の講演である。③はホルクハイマーが当時の潮流における社会と科学の関係を箇条書きで述べたものである。それぞれが一年おきに世に現われているのが面白い。

 読んでいて連関が見えやすかったのは、①と③である。フッサールは現代の合理主義の危機は客観主義と自然主義の二つによって生じていると主張し、哲学的精神によるヨーロッパの再生を主張している(p.94)。これに対して、ホルクハイマーはフッサールの立場に批判的に見える(年代で考えるのなら、フッサールがホルクハイマーに批判的であるとも理解できる)。合理的科学的思考に現代の危機の責任を負わせることを隠蔽だとホルクハイマーは述べているからである(p.143)。とはいえ、ではホルクハイマーが科学の擁護者かと言えば、そうとも言えない。科学の抱える二重の矛盾の指摘がそれであろう(pp.150-152)

 当時の精神的状況を考えれば、第一次大戦後の西洋没落論が盛んな時期であったため、上二つのものは非常に読みやすく、問題意識も掴みやすかった。逆にハイデガーは相変わらず分かりづらい。今回の場合は、言葉の問題というよりもハイデガーが当時どのように振舞おうと思って上二つの講演をしたのかという意図の点。最近(といっても、既に数年前かもしれないが)、ハイデガーユダヤ問題について言及しているテクストが公刊されていたような気がするので、そこら辺を読むとより明確にナチスへの関与の理由が分かるかもしれない。

 先の二人の考えが互いに連関するのが見えやすいのに比して、ハイデガーのものは少し浮いているように感じた。ハイデガーの就任演説については、彼の奉仕義務と呼ぶところのものがプラトンの国家論が土台であろうという点意外は読流してしまった。続く退任後の講演も、彼の思惑が砕かれて隠れて生きよという生活に価値を見出したようにも見えた。ただ、彼の述べていることからすれば、この評は正しくない。彼はあくまでも、哲学する上で都会よりも田舎にその思索の源泉を見つけたというだけなのかもしれない。存在と時間くらいしか自分は知らないので、その後の彼がどのような思索を展開したかを今後知る必要がある。

 

田中美知太郎『古代哲学史講談社学術文庫

 日本の古代哲学といったらこの人、の一人である田中美知太郎の古代哲学史。古代哲学史と題されているが、古代哲学に関して田中が書いた論文を四本、それとヘラクレイトスの断片が収録されている。内容は三部に分けられる。収録されているのは以下の通り。

 

 Ⅰ

  ・西洋古代哲学史

  ・古代アトム論の成立

 Ⅱ

  ・古代哲学一

  ・古代哲学二 

 Ⅲ

  ・ヘラクレイトスの言葉

 

 Ⅱは通読した方が良い気もするが、基本的にはどれも独立して読めるので、気になるものから読んで大丈夫であると感じた。また、Ⅱについては、今後研究する人に向けての入門という感があり、二次文献や依拠すべきテキストなどについて非常に詳しく述べられている。今の古代哲学の研究がどうなっているか、生憎と事情に疎いので、これはちょっと調べたい。

 個人的に面白かったのは、古代アトム論の成立。内容を理解し損ねている可能性はあるが大雑把にまとめると、デモクリトスらに見られる古代アトム論の成立には、パルメニデスなどのエレア派の論理と、タレス以来の自然哲学が契機となっているものであった。こうした結論を引き出すのだから、当然内容としてはパルメニデスについても詳しく述べられており、依然よりも随分パルメニデスについては見通しがよくなった。ただ、同時に、パルメニデスがそこまで抽象的に存在と非存在を考えることができていたのかという点に疑問が生じた。この点については、パルメニデスの著作を読んでみるほかない。

 

 以上。