勉強・読書メモ

最近読んだ本について記録したりする場所です

今月読んだ本(2022年5月)

 

メモ

 気づけば今年も折り返しに差し掛かっており、時間の流れの速さに驚くばかり。いよいよもって、計画を立てて読書しないと、読むことができない本も多くなるのではないかとそんなことを考えています。

 あとPCが旅立ちました。タイミングが悪い。

 

司馬遼太郎項羽と劉邦 上・中・下』新潮文庫

 高校の国語の教科書でおなじみの項羽と劉邦である。もし変わっていなければ、『鴻門之会』を読んだことがあるのではなかろうか(この漢文がいつから採用されたのか分からないので、自分と同年代の人に限られるのかもしれない)。

 本書は上・中・下と三巻に分けて、秦の始皇帝の死から項羽と劉邦が台頭し、後に天下争いへを経て、最終的に烏江で項羽が漢軍に討たれるところまでが描かれる(紀元前200年代の中国)。とはいえ司馬遼太郎は、歴史家としての目線から、登場する人物の簡単なその後を節々で描いている。

 私自身が項羽と劉邦を知ったのは高校の教科書であったが、正直にいうと、当時は関心を殆ど持たなかった。理由は今となってはあまり思い出せない。三国志や中国の思想には興味関心を持っていたので、五経四書の類いは目を通していた(孔子論語くらいしか分かった気になれなかったけれども)。そのため、読んでいても不思議はないものの、司馬遼太郎では坂の上の雲梟の城などの一部を読んで、それ以上は触れていなかった。

 私の感じ方ではあるが、吉川英治三国志を舞台情景を華々しく勢いのある文体で描いているとすると、司馬遼太郎項羽と劉邦は歴史の分析を行いながら書かれている感を抱いた。前者が講談を聞いているようであるとすれば、後者は講話を聴いているよう。あくまでも印象問題。

 面白いと思った点は主に三点ある。

 

 ⑴呪いなどを現実主義的に描く

 ⑵飢えた民に食を与えるという英雄の像

 ⑶当時の思考論理に対する分析

 

 ⑴については、要するに神秘的な要素を現実の要素に戻して原因を分析する。そのため、天が項羽を滅ぼそうとしているのだ、といったような物語内の項羽の心情は、司馬遼太郎の目線では項羽の性格が招いた結果であると結論されているように見える。同様に、ゴロツキであった劉邦がどうして沛公などと呼ばれるようになり漢を興せたのかという点についても、劉邦の性格や、劉邦の配下の手回しによるとして述べられる。そのため、「天運」が項羽を滅ぼしたのではなく、どこまでも武人肌過ぎたが故に項羽は負け、その逆にどこまでもゴロツキのような劉邦であったからこそ項羽に勝てたということになる。

 ⑵は一に関連する。司馬遼太郎は、再三再四、民に食を与えるのが当時の英雄の条件であると考えている。この要素を認識できていなかったことが、項羽の主たる敗因とすら言いたげであるようにすら見えた。歴史的背景から言えば、秦の時代から徴税によって食が奪われ、飢えることから反乱の機運が盛り上がり、反乱に立ち上がった人々は食を求めて彼らの腹を満たすことができる者を推戴するという。これが司馬遼太郎の論理であるように見えた(もちろん、もう少し複雑なのかもしれないが、少なくともそのように見えた)。この点については、思えば後の三国時代の幕開けである黄巾の乱においても似たような現象が生じていたのかもしれないと思うと、説得的な見方である。ただそうであるとすると、武勇で兵の崇敬を集めた項羽というものが、この英雄像から見れば異質な存在であるように思われた。

 ⑶については、司馬遼太郎は当時の倫理思想や思考の論理を描くのを好んでいるように見えた。そのため、主要な登場人物のではなく謀臣や、果てには⑵で触れた流民の思考の分析をも含めて描きだしている。印象的なのは、劉邦が彭城から敗走の際に、自身の息子を何度も車から捨てた場面で、司馬遼太郎はこの行為が当時の論理(倫理)では特別おかしくはないと述べる(現代の視点だと、とんでもないと驚くことではあるが)。これは、孝という倫理が原始的に重要であるとされた当時において(儒家道徳はまだ国民道徳ではなかった)、子は親が生きながえるためにはむしろ自身から進んで車を軽くすべき存在であるという理屈が受け入れられていたということらしい。流石に誇張だろうと思わざるを得ないが、とはいえ司馬遼太郎自身はこのあたりをさらりと描いている。逆に、劉邦の部下の夏侯嬰が、子が捨てられるたびに拾ってはまた乗せるということを繰り返すことの方が不自然であるようにすら読めた(そういう意図は恐らくない)。

 以上三点が、個人的に面白いと感じた点であった。

 上記とは異なり、これは自身の無知に起因することではあるが、私は劉邦という存在を三国志劉備のような存在と考えていた(なんでそんな風に考えていたのかは分からない)。そのため、どこが温雅な徳のある人物と思っていたものの、まったく違ったということにまず驚いた。家の手伝いをしない遊び人で、盗人のようなことまでするあまりのゴロツキっぷりに、こんな人物がよく天下を取ったなというのが抱いた感想であった。